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創造と解明の差異を実感してしまった、という話

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どうも、夏生です。「Elel(エレル) | 一橋大教授の推薦図書」サイト、使ってね(https://elel.site)。

 

今回は、創造と解明の差異を実感してしまった、という話です。

 

前の記事でも書きましたが、現在私は東工大に通って主にサイエンス系の勉強をしています。例えば、量子力学や有機生物化学、基礎神経科学などです。

 

水素原子のどの辺に電子が存在するかの確率密度を求めるとか、神経が電気的信号を送るとき神経のNa+がどのように作用しているかとかを学んでいます。

 

で、一応真面目にサイエンスを学び、真理を探究しているわけですが、そこで気づいてしまったのです。

 

今やっているのが「解明」だとすると、最近「創造」してなくない、、?

 

私はときどき、商学部らしく気が向くままに起業したりアプリ作ったりしているので、「創造」については結構知っているつもりです。

 

「創造」は自身の精神を具現化するという人として最高の行為だと思っています。

 

それに対して「解明」は神が創造した自然を解明しているにすぎず、自然を模倣しているだけだ、とすら言えると思っています。

 

つまり「創造」>「解明」だと思っています。

 

ちなみにこれは私だけが言っているのではなく、多くの哲学者もそういっています。

 

と考えると「解明」に従事するのって、、きついな、、と感じませんか。

 

もちろんここ200年間で、250万年の人類史の中で類稀なる急速な変化を迎えているのは科学の発展のおかげです。

 

ですが、さらに冷静に考えてみると、科学の解明が進んだから人類が進歩した(進歩といっていい変化はわかりませんが)というよりも、科学によって解明された事実を応用し、創造したからこそ人類が進歩したと思うわけです。

 

考えてみても、創造まで自分で行うことを視野に入れて解明に取り組んでいる学者さんって少ないですよね。

 

と、こんな感じで「創造」と「解明」って全然違うじゃんと実感してしまった、という話です。

※だから人としての価値が変わるとかが言いたいのではなく、単にこういう性質の違いがあるんじゃね?と思っただけで特に他意はないです。

 

で、私はやっぱり解明された事実を利用して「創造」に注力していきたいな~と思いました。ただそれだけです。

 

では。